父ちゃんの勝利! [05-06は闘病記・父ちゃん編]
5月の第三週。
このまま週一回の診察で、入院・再手術もしなくて大丈夫でしょうということになる。
前回の値切りの効果か?
「肉、食べてください。」というありがたい?アドバイス付き。
↑5月の終わり頃写した足の爪。
抗がん剤で黒っぽくなったところと、新しく生えてきたところで爪の色が全然違う。
相変わらず傷は深くて、のどぬ〜るに使うような大きさの綿棒に消毒用のイソジンみたいなの漬けて突っ込むと、綿棒が自立するくらい。証拠写真も撮って父ちゃんに見せると、「えぐい〜〜」といやがる。
それが、6月になると、どんどん傷が浅くなって、外来でもあまり掘り返さなくなってきた。
外来も毎週だったのが、2週空きに。
傷は小さくふさがってきて、のどぬ〜るサイズの綿棒では入らなくなり、普通の大きさの綿棒で消毒するようになった。
で、ついに7月中旬、傷は完治ということになり、お風呂もOK。
父ちゃんにとって、一年ぶりのお風呂!
値切りの父ちゃん [05-06は闘病記・父ちゃん編]
4月第三週の外来。
父ちゃんとハハで行く。
なぜかQ先生、「今日は二人ですか?」
何人で来れば良いんだろう??ともくんもついてくると思ってる??
第四週の外来も、
「今日も二人ですか?」
なぜだ!?
5月の連休明けの診察。
来週あたりで再手術するかどうか決めましょうということに。
そこで、一応手術の代案としてということで、週に三回来て、今までのように傷の処置をするとしたら、通院できるか聞かれる。
そこで父ちゃんが「週に二回になりませんかねえ?」と言い出す。
自分が手術したくないと言うから出てきた案じゃないの〜、なぜにここでそういう交渉を始めるか〜と思いながら、ハハ、「父ちゃんは、どこでも何でも値切るから・・」と怒る。
「なんですか〜?」とQ先生が聞くので、父ちゃんの電化製品値切りテクを話す。
エアコンをぎりぎりまで値切る。これ以上は無理となると、交換用のフィルターをおまけにつけさせる。
掃除機を値切る。無理だとなると、交換パックをおまけにつけさせる・・等々。値切り続ける横でハハはかなり恥ずかしいのだけど。
父ちゃんは、「そんなの常識だ!」と強気。
Q先生と看護師さん、唖然。
最後に苦笑しつつ「勉強になりました。」
で、また来週ってことに。
再手術の提案 [05-06は闘病記・父ちゃん編]
2006年4月第一週の外来。
父ちゃんの傷は、大きめの耳かきみたいな器具で奥まで掘り返して、生食水で洗い流すという処置をしている。
もう3センチ以上は深さがある。あ、深さというのは、単純に垂直にではなくて、表面に沿って斜めに掘り返された深さなんだけど。
と、Q先生から提案が。
この部分を再手術したいと。で、(感染したところが)どこまで広がっているか診たいと。
全身麻酔の必要はなく、一週間以内の入院期間ですむからと。
父ちゃん断固拒否!
父ちゃんの主張。
今は抗がん剤の副作用で傷が治りにくくなっている時期だ。だからもう少しすれば、自然に治るのではないか?
というわけで、2〜3週間様子をみましょうということに。
自分で傷が見えないということは、ある意味良いことかもしれない。
毎日消毒と薬付けのために見ているハハは、Q先生を内心支持していたのだが・・。
父ちゃん小児病棟へ [05-06は闘病記・父ちゃん編]
2006年3月。ともくんの外来から一週間後、父ちゃん術後2クール目の入院。
なんと入院したのは、ともくんがいた小児病棟!
本来の整形の病棟のベッドが空かないので、小児でもいいですか〜という電話があり、入院。
小児でも、最初にかかったときに「子ども」だったけど今は20才すぎている・・とか、小児によくある病気なので小児科の医師が主治医になったとか、今回のうちみたいに、本来の病棟のベッドが空かないとかいう事情で何人かは成人が入院しているらしい。
ともくんも連れていくと、看護師のおね〜さまたちから声が次々かかって面白い。ついでに父ちゃんは本当なら苗字で呼ばれるはずなのに、看護師さんも、ついつい「お父さん」と呼びかけてしまう(爆)
ところで、ずっと気になっていたこと。
抗がん剤の副作用で血小板・白血球が減ったのが原因だと思うのだけど、手術の痕のかさぶたがとれたところが白っぽくジクジクししていた。
これが、やはり入院した日にQ先生に切開されたそう。
翌日ガーゼ交換のときに見せてもらったけど、かなり大きく切られていた。
傷は2〜3センチなんだけど、深さもかなりあって、そこに薬とガーゼを詰め込んでいる。
抗がん剤の点滴そのものは、やはり前回よりはきついらしく、また食べられなくなっていた。
でも、点滴終わったら、今回もはい、退院。
んで、一週間後に外来で血液検査。
血小板が減っているので、成分輸血。
輸血と注射と血液検査して、会計が3割負担で3万円超えていてビックリ!
輸血は年末の入院中にも一度したんだけど、入院費に紛れていてわからなかった!高いのね〜。
ともかくあとは、この切開した傷が治れば終わり・・なんだけど・・。
きいてないよ〜、あと2回!? [05-06は闘病記・父ちゃん編]
2006年2月下旬、やっと連絡が来たので、今度で最後だ〜と思い入院。
ハハは午後には帰ったんだけど、夜父ちゃんからあせった声でTEL。
夕方から「流し」に入る・・と思ったら、Q先生がやってきて一枚の紙を見せて、「標準治療では、術後の抗がん剤は2回なんですよ。で、2回させてもらえませんか?」と、一応同意は求めているが、オイオイ・・。
そこで父ちゃんも一応交渉してみる。
「それなら、抗がん剤の点滴をアドリアマイシンとイフォマイドの二剤の日を一日にして、イフォマイドのみの日を二日にするとか・・・」
当然のように却下。
なんだかな〜・・。Q先生は個人的にはあと1クールで大丈夫だと判断していたみたいなんだけど、もっと上の方から安全策が出た?わからん!
ともかく、そうなると、仕事復帰の時期とかすべて一ヶ月後ろにずれこむわけで、ちょっと落ち込み。
入院3日目にともくんの外来で抜糸があった(キョ〜フのギプスカッターね)。
そこでQ先生に、「二回やるんですって〜!?」と聞いたら、「はい。やろうと思っています。前回よく効いたので。」と、ポーカーフェイスで返事。
「でも抗がん剤も耐性できたりするんですよね?」と言ったら、一瞬“ぴくっ”としてひきつり笑いしていた。
マジメな話、術前は効いたかどうかわかるんだけど、術後のは効いてるのかなんなのか、さっぱりわからない状態で、メッチャ体に悪いモノを流し込むんだから。
外来終わってから、父ちゃんの部屋に行くと、上の喫茶に行けるという。
今までなら絶対この日なら飲まず食わずだったのに、今回は副作用が軽め。
↑こういう点滴台にずっとつながれている。ちょっと管がからんだりすると、すぐに警告音がピポピポ鳴りだしてうるさい。ちなみに、左手でうまくいかなくなって、右手に点滴するようになってからの写真なので右側にある。利き手の点滴は不便です。
副作用が軽めだと思っていたら、なんと8日目で退院になった。
大体骨髄抑制が一番ひどくなる日に外来予約。
この日は他の先生の担当。Q先生も来るという話だったけど、緊急手術とかで結局その日の外来担当の先生の診察のみ。血液の数値だけ見て、注射の指示。やっぱり骨髄抑制はしっかりあるのね・・。
結局手術の傷は診ないまま。
これが後で考えると、ちょっと失敗だったかな?
父ちゃん退院・在宅は大変 [05-06は闘病記・父ちゃん編]
父ちゃん順調に抜糸終了。父ちゃんに言わせると、P先生が“突然”朝の回診で、「じゃ、抜糸しましょう」ってとったとか・・。まあ、あんまり前日から予告することでもないんでない?
父ちゃんも手術からちょうど二週間で退院。
ところで、Q先生がひどく遠慮がちに、術後の抗がん剤を一回やりたいと言ってきたそうで。
最初の面談にもあったように、術後は抗がん剤か放射線ということだったので、まああと一回なら大丈夫だということで父ちゃんも了解。
ということで、次回の入院予約もして退院。
うちでは和室で布団の生活なので、安いリクライニングベッドを買うか、介護用を短期間借りるかしようかと話していたんだけど、父ちゃんはどうにかなるさ〜と拒否。
そしたら、やっぱり大変だったじゃない〜!
手術した右足はまだ膝がちゃんと曲がらないし、部屋には手すりのようなつかまるものが何もないから、一回横になると、毎回大騒ぎしながら起きあがることに。
ともくんがお風呂に入るときには、ギプスが濡れないようにビニールかけて防水対策しないといけないし、父ちゃんは湯船につかれないから、シャワーが終わると傷の消毒と包帯巻きがあるしで、以外とハハは夜多忙。
ともかくまだ入院の呼び出しがなかったら、ともくんと同じ日に外来で傷のチェックをすることになっている。また食べられなくなるんだろうから、今のうちに栄養つけなければ〜。
父ちゃん歩行練習 [05-06は闘病記・父ちゃん編]
父ちゃんは手術直後は、足にドレーンが3本。尿道にも管。背中に刺した硬膜外麻酔の薬入りの小さなボトルが首に下がっている。口には酸素。腕には点滴とまさに管だらけだった。
3日目からおしりに負担がかからないように座る練習(ななめ半ケツ座りね)と立つ練習。
形成の先生に、かなり足をグイグイ動かされたそうで、痛がりの父ちゃんはブイブイ怒っていた。
でも、座れるようになると、食事がかなりラク。
4日目から歩行器で歩いてみましょうということになると、管だらけなので、これらをからまないように首や腰や歩行器に引っかける。カバーがついているので、なんだかポシェットたくさんぶら下げた変なおじさん状態。
↑チューブ(ドレーン)の先に、出てきた血液や浸出液の混じったものをためる排出バッグがある。
ひものついた青いカバーに入っている。
6日目の朝、
「尿道の管を抜きましょう。」と若手P先生が言うので、父ちゃんが、「そしたら、トイレに行くときに、このドレーンの袋をあれこれやって、間に合わなくなる危険があるよね。」と訴えた。
そしたら、P先生、「あ、じゃ、こっちも抜きましょう。」ドレーンを“すぽ”
ドレーンって、縫い目に挟んでいるんじゃなくて、近くから出ているので、抜いた後は3ミリくらいの穴が開いている。すぐにかさぶたになったけど。
父ちゃんも手術 [05-06は闘病記・父ちゃん編]
2006年1月。
手術前に、必要な検査を外来でやることに。
CT、MRI、採血・・。
MRIは造影剤を注射するんだけど、これのせいらしく、検査の後、父ちゃん気分が悪くなって、30分くらい病院の椅子で休む。
去年10月に初めて入院して検査したときにはそういうことはなかったのに・・。
ともくんの手術から一週間後の1月下旬、父ちゃんも手術。
また手術前には輸血のこととエコノミークラス症候群の説明。お約束なんで仕方ない。
手術中には院内PHSを持たせてくれて、終わったら呼び出されるんだけど、これも看護師さんが使い方を説明しようとしてくれたので、「あ、4回目なんでわかります」と言ったら驚いていた。
やはり術後管理病棟(個室)に一泊して一般病棟へ。
たぶん床ずれ防止なんだろうけど、30分おきに看護師さんが少しずつ体の向きを変えにきてくれるとか。
手術そのものの時間はともくんより短くてすんだ。
でも、腫瘍(悪性線維性組織球腫)が右臀部にあって、悪性の場合、正常組織を含んで大きく切除(周囲5センチ大きく切ると書いてあるサイトもある)するため、かなり小さくなっていたにもかかわらず、最初の腫瘍の大きさ(11センチ)と同じくらい切ったとのこと。
で、切り取った部分を埋める?ために、太股から皮弁移植。
手術名は、右臀部悪性軟部腫瘍切除術+有茎皮弁術+半層植皮術
※皮弁というのは、皮膚と皮下脂肪や筋肉など組織の血流を保ったまま移植する方法らしい。
日本形成外科学会の形成外科で扱う疾患 の「12.手技に関して」の皮弁・マイクロサージャリーに詳しいです。
http://www.jsprs.or.jp/sikkan/index.htm
つまり、おしりから太股にかけて、ざっくり切られて、縫い目が走っている状態なので、ベッドにねたきりにさせられている。
移植する範囲がもっと大きかったら、皮弁は背中から採ったらしい。
そうなると、二週間はベッドから起きられないと説明されていたので、とりあえず「ほ」。
もう数日したら、「立っても良い」けれど、「座ってはいけない」そう。(笑)おしりに圧がかかるから。
食事も立ったまま食べるしかなさそう。
年内退院なるか!? [05-06は闘病記・父ちゃん編]
父ちゃんは外泊を終えてまた病院へ。
今回は白血球だけでなく、血小板も減っている。
ともくんが、外来で検査結果聞いた日に退院できるかと思ったら、それも延期。
できれば3クールを年内に終わらせたいという希望なのに・・。
と、思ったら、今回は退院ナシで、外泊のみにして、少し早めに3クール目をはじめようということに。
3クール目の抗がん剤が終わった翌日、面会に行くと、たまたまガーゼ交換にあたる。(午前中に終わっていることが多い)
背の高〜〜いP先生が腰をかがめて消毒しているんだけど、腰痛にならないのかな?
ともかく外泊のとき以来はじめて傷口をみたら、ものすごく小さくなっている!
病院は年末にかけて、どんどん患者さんが退院していく。
仕事納めの後は、大部屋をとうとう独り占め状態に!
父ちゃんは血液検査の数値悪いし、熱もある。
でも、どうしても年末は退院したいというので、看護師さんがQ先生に電話してくれる。
結果、熱もそれほど高くはないし、いいでしょうということになって、退院。
抗がん剤治療開始 [05-06は闘病記・父ちゃん編]
2005年10月下旬から抗がん剤点滴。
※ちなみに、医師が書く指示書のコピーもらいました。
ちゃんと何日に何の抗がん剤が何ミリグラム・・みたいなことも書かれているのでもらっておくと良いと思います。
一日目、流しと呼ばれる生理食塩水のようなものを点滴。
二・三日目はイフォマイドとアドリアマイシンの二剤を点滴。
四日目からはイフォマイドのみ。
七日目はまた流し。
抗がん剤の点滴の間にもずっと生食水は点滴しているから、一週間、24時間点滴につながれっぱなし。この一週間に休薬期間二週間の計三週間を1クールとして4〜5回と言っていたのだ!
しかも、点滴から解放されたと思ったら、口内炎はできるし、三日目くらいにものすごい発熱があったり、十日目くらいには骨髄抑制といって、白血球やら血小板が減ったり。
父ちゃんが血液検査の結果を私に見せながら、「ほら、ここ、0.4しかない!」
私、「WBC?わーるどべーすぼーる・・??」
父ちゃん「白血球だよ!」
(White Blood Cell Countだって。 正常値は表の右欄にある4.1-6.1×1000/μLらしい)
副作用の軽減のために吐き気止めも点滴されるけど、結局抗がん剤の点滴中は飲食できなかった。
↑通常の食事はこ〜んなカンジです。頼むとシャーベットとかカロリーメイトっぽいものに代えてくれるけど、それでも点滴中は食べられなかったみたい。
ついでに、体重が少しでも増えると利尿剤の点滴があるそうで。
点滴中はやたらトイレに行きたくなるから続けて睡眠もとりづらいし、精神的にもしんどい治療。
病棟の看護師さんの話では、整形の抗がん剤は、血液の次にハードなんじゃないかって・・。
で、その結果だけど、ビックリするくらい効果アリ。
元々の傷と生検のときの傷が二つぱっくり大口を開けているようになっていたのが、どんどん小さくなっていく。ホントに目でわかる!
で、効果があって、ほっとしていた11月のこと。
今度はともくんが・・!